2012年9月18日火曜日

北極圏

始めてアラスカに来た10年以上も前から"北極圏"という響きに憧れていた。正式には北緯6633分以北の地を北極圏というのだが、ブルックス山脈の原野から果てしなく続くツンドラ地帯、北極海までの地域などが含まれる。夏の間は白夜が続き、植物は24時間の太陽の下グングンと成長し、この地に生きる動物たちは短い夏の間、休む間もなく食餌を取り、子作りに励む。このかけ離れた極北の地を北へ貫く一本の道がダルトン・ハイウェイという未舗装道路で、フェアバンクスからスティーズ・ハイウェイそしてエリオット・ハイウェイを経て、計800キロ、北極海に面するプルドー湾へ行き着く。アンカレッジからは1,350キロもの行程になる。
8月中旬、アンカレッジを発ち、北へ向けての旅が始まった。まだ夏の気配が残るアンカレッジから北上すること約550キロ、フェアバンクス周辺ではすでに秋が始まりかけていた。白樺に似た、バーチの森が鮮やかな黄色に変わり始めていた。フェアバンクスから126キロ、いよいよダルトン・ハイウェイにさしかかるといきなり未舗装の砂利道になった。ユーコン川を越えたあたりから、パイプラインがハイウェイ沿いを平行して走るようになる。北極圏に入った辺りから森が開け、ツンドラと呼ばれる永久凍土の湿原が続く。無数の川や湖が点在するツンドラまでが、黄金色に紅葉し、北に行けば行くほど季節の進みの早さを感じさせられた。

ゴールドラッシュの町として始まったコールドフットは、今では大型トラックの休憩所として知られている。プルドー湾の石油基地デッドホースとアンカレッジを往復するトラックにとって、最後の町に当たるコールドフットにはレストラン、ホテル、ガソリンスタンドや売店などがそろっている。
ダルトン・ハイウェイのハイライトに当たるのはコールドフットから北に広がる大自然だ。ブルックス山脈の険しい峰が続き、北極圏の扉国立公園(Gate of The Arctic National Park & Preserve)や北極圏国立野生動物保護区(Arctic National Wildlife Refuge) などの自然保護区がハイウェイ沿いに広がる。ここまで北上すると、ツンドラの紅葉もピークを迎え、黄金色から紅色の丘が、秋の日の下で鮮やかに輝いていた。
アティガン峠(Atigun Pass) から北側の川は北極海に流れ込み、南側の川は太平洋に注ぎこむ。この辺りがダルトン・ハイウェイ沿いで最も険しく、最も美しいところだ。
 
ブルックス山脈の高峰がダルトン・ハイウェイの両側にそびえ立つ一角に、北極圏国立野生動物保護区(Arctic National Wildlife Refuge)を垣間見ることができた。この保護区はカリブー(野生のトナカイ)の繁殖地、および北極グマ、ジャコウウなどの希少動物を保護するために指定された。大手石油会社があきらめることなく数回にわたってこの地の開発を求め、自然保護団体がその度に提案を阻止するという政治的闘争が続いている。この地のことを知ったのは、まだ日本に住んでいた十代の頃だったが、なぜか見たこともない極北の地が破壊されてしまうかもしれないということに胸を痛めたのだ。アメリカ本土に住んでいる間も、シェラクラブを始めとする自然団体のこの地を守る活動に何度も署名してきた。ずっと気になって想いを寄せていた北極圏国立野生動物保護区の一角が自分の目の前に広がっているということが信じがたかった。保護区内の山脈をこの日最後の太陽が暖かい光で照らし出し、空を淡い桃色に染めてゆっくりと沈んでいった。極北のこの美しい一帯が人間の欲のために開発されることがなく、未来に残されていくことを強く願う。
ブルックス山脈の北部、カリブーが紅葉のツンドラの丘を横切る…。
白夜の季節が終わりを迎え、夜の闇が数時間だけ訪れる。北極圏の空にオーロラの季節が戻ってきた。
(次回に続く。)