2014年10月24日金曜日

ツール・ド・モンブラン(ヨーロッパ・アルプス)①Les Houches - Elisabetta, (フランス-イタリア)

 
フランス、アルプスの麓の街・シャモニーで数日間の撮影後、約15キロのパックを背負い、全長170キロを超えるトレイル、ツール・ド・モンブランを歩き始めた。ヨーロッパ・アルプスの最高峰、モンブラン山脈の周りをぐるりと一周する。フランス、イタリア、そしてスイスの国境を越えるこのハイキングコースは、特に人気が高く、夏の間に世界各地からたくさんのハイカーが訪れる。一周するのだから、どこから始めてもいいのだが、ガイドブックなどで紹介されている、シャモニーの南・レ・ズーシュからの出発を選んだ。

レ・ズーシュを出発した第一日は前日から降り続く土砂降りの雨。泥と水溜りの急な登りがしばらく続き、やっとのことで、高原地帯に入った。急流に架かるつり橋を渡り、本来なら氷河と岩山、そして山野草が咲き乱れる風光明媚なこの場所は、雨と霧で視界が悪く、期待していた写真が全く取れなかった。降り続く雨がトレイルを流れ、滑りやすくなっていた。撮影機材の重さが、肩から背中、腰にかかる…。とにかく、その日の宿にたどり着くことが目的で、ひたすら歩いた。

このツール・ド・モンブランのトレイル沿いには、数多くの山小屋が点在している。活動拠点のアラスカはもちろん、アメリカ各地の国立公園でのトレイルは、基本的にテントを担いで自炊が当たり前だから、相部屋とはいえベッドが用意されていて、フルコースのディナーに簡単な朝食が出て、施設によっては熱いシャワーを浴びることができるなんて、なんて贅沢なんだろう。しかも宿泊費は想像以上に割安だ。中には好んでキャンプをしている人たちにも出会ったけど、ほとんどのハイカーたちは小さめのパックで山小屋に泊まりながら、10日以上にもわたるハイキングを楽しんでいた。ところが、カメラ機材一式と三脚を含むパックは、約15キロ、さすがに重い…。

このツール・ド・モンブランのトレイルのあるアルプス一帯には、チーズの原料となる牧牛が盛んで、丘という丘は草をはむ牛たちで埋め尽くされていた。牛たちは、ハイカーには目もくれず、ひたすら黙々と食べ続ける…。牛一頭一頭につけられたベルが一帯に鳴り響き、この旅のバッグミュージックとして耳に残っている。トレイルはContamines-Montjoie自然保護区に入った。2日目も一日中雨だった。

前日の雨が夜の間に雪に変わり、野草の咲く緑の峠はすっかり雪の下に隠れてしまった。7月中旬だというのに、このアルプスで雪の中を歩く羽目になってしまうなんて…。本来なら、絶景の山岳地帯になるはずの、ボンノム峠(Col du Bonhomme)は、霧雨と雪で視界がほとんどなく、雪に隠れた急なトレイルを滑りながらひたすら登るという、意外な展開になった。この峠での撮影を楽しみにしていただけに、本当に残念でならなかった。この日はとうとうカメラを取り出すこともなかった…。

4日目、雨は小降りになったものの、まだまだ曇り空の下、フランスからイタリアへの国境を超えた。国境はセーニュ峠(Col de la Seigne)にまたがり、国境を示す小さな石碑が立っているだけで、入国審査どころか無人だった。本来ならこの峠からモンブランが再び姿を現すはずらしいのだが、霧と強風で視界が悪く、何も見えなかった。
緩やかな峠がイタリア側に下っていく。灰色の雲が次第に薄くなり、雄大な山々が垣間見え始めた。雲の間から、うっすらと日が差すと、辺りは魔法に包まれたように、緑の草原が色好き、野草が明るい色に点された。やっと撮影ができる!

色とりどりに咲き乱れる野草の中から、アラスカでおなじみのワタスゲ(Cotton Grass)と勿忘草(Forget-me-Not)を見つけた。遠く離れた大陸の、全く別の国に同じ花が咲いていた。

こちらは、アルプス特有のBlue Gentians。

 アルプス山中に数多く残る遺跡の一つ…。

まだ日が出ているうちに、2つの氷河の近くへ登った。(Lex Blanche氷河とEstellette 氷河) アルプスでは、驚くほどの速さで氷河が後退している。十年位前までは雄大に流れていた氷河も、現在ではほんの少し山肌に残っているという程度で、正直がっかりする眺めになってしまった…。

この続きは、次回のブログにアップします。ご期待を!
 

2014年10月5日日曜日

ヨーロッパ最高峰・モンブラン

 
ヨーロッパ・アルプスの最高峰、「白い山」を意味するモン・ブラン(Mont Blanc 4,810.9m)はフランス、イタリア、スイスをまたがる国境に位置する。青い空の下、氷河を抱く白いモン・ブランの頂上は、ため息の出るような絶景だ。おなじみのケーキ、モン・ブランはフランス側から見えるこの山をモデルに作られたのだ。

この度、モン・ブランを中心としたアルプスの自然を撮影するために、初のヨーロッパへ向かった。カメラ機材一式を背負って、モン・ブラン周辺を一周するトレイル、ツール・ド・モンブラン(Tour du Mont Blanc)を歩く。全行程約160キロ、約2週間かけて、峠を越え、山野草の咲く高原を歩き、放牧地を横切り、フランスからイタリア、そしてスイスを通過し、フランスへ戻ってきた。

モン・ブランの周りをぐるりと一周しながら、様々な角度からこの山を撮影してきたが、やはりフランス側からの眺め、白く丸みを帯びたモン・ブランの姿が一番だ。雨が止み、雲が晴れ、シャモニーの街を見下ろすように現われた白い山は感動的だった。

モン・ブランぐらいの高峰になると、雲を引き寄せ、山岳特有の天気を作り出してしまう。アラスカのマッキンリー同様、雲の中に姿を隠してしまうことが多いのだ。モン・ブランの撮影には運と忍耐が必要だ。
 
ありがたいことに、モン・ブラン周辺には便利な交通機関が整っており、トラムやケーブルカーを利用すれば、撮影に最適な絶景地点までほんの数分で行くことができる。

モン・ブランの頂上を間近に撮影するために、エギーユ・デュ・ミディ(Aiguille du Midi)の展望台へ向かった。標高3,842mのエギーユ・デュ・ミディの頂上にある展望台にも、ケーブルカーとエレベーターで簡単に着いてしまう。展望台に着いた時には、霧で視界は真っ白。冷たい風の吹く中、待つことしばらく…。霧の向こうにモン・ブランの巨峰が少しづつ見え隠れし始めた。じらされているみたいだ。見えては隠れ、をしばらく繰り返したあと、霧のベールが完全にはがされて、白いモン・ブランが青空を背景に姿を現した。太陽の光を浴びて白く輝くモン・ブランに手が届きそうだ。この期を逃さず、と撮影を続ける…。その後しばらく、モン・ブランは隠れることなく撮影を許してくれた。

こちらはイタリア側から見たモン・ブラン。イタリア語では、モンテ・ビアンコ(Monte Bianco)。どちらも白い山という意味だ。フランス側で見た山とはぜんぜん姿が違う。数日間降り続いた雨が止み、やっと姿を現した。朝日を浴びて赤く輝くモン・ブランの撮影に成功。

こちらも、イタリア側。アルプスの山中にはたくさんの遺跡が存在する。

フランス側。ブレヴァン山頂(標高2,525m)から、モン・ブランが真正面に見える。降り続いた雨が止み、アルプス滞在の最終日に、やっと姿を現してくれた。

次回もアルプスからの写真を初回予定。ぜひ、見てくださいね。


2014年10月2日木曜日

オーロラの季節

 
9月下旬、アラスカはすっかり晩秋。白夜の季節が終わり、夜の暗闇が戻ってきた。早くもオーロラの季節がやってきた。2週間ほど続いた雨が止み、久しぶりの快晴。オーロラの活動も活発で、北極圏周辺はもちろん、アンカッレジ北部でも見られるという予想。

アンカレッジから北へ100キロほどの湖のほとりでオーロラを待っていた。この時期はまだ暖かく、湖の水もまだ凍っていない。水面にうつるオーロラを撮るなら、この季節だけだ。あと1-2週間もすれば、氷が張り始めてしまう。晴れ渡った空には肉眼で天の川が見えるほどの明るい星がきらめき、風ひとつない湖面にも星空が広がっていた。
 
すでに午前2時を過ぎた頃、地平線にうっすらとした光が現れはじめた。光は少しづつ明るさを増し、淡い緑のアーチになった…。アーチ状のオーロラは、波のようにゆっくりと揺れながら、湖の上に移動していった。鏡のような湖面にも、光の帯が揺らめいている。光は徐々に明るさを失い、ゆっくりと消えていった。また新しいアーチが現れ、明るさを増し、光の帯を湖面に描き、また消えていった…。現れては消える、という静かなオーロラのショーが静かなアラスカの原野で人知れずに繰り返されていた。オーロラの再来は、これからやってくる長い冬の始まり…、大地が雪に覆われる日もそう遠くない。
 
次回は、ヨーロッパ・アルプスの写真を掲載予定。