2011年10月21日金曜日

アンカレッジから見えたマッキンリー



10月初旬、アンカレッジ周辺は見事な秋晴れが続いた。私の住むアラスカ内陸部、フェアバンクス郊外ではすでに紅葉は終わっていて、冬の気配が色濃くなっているものの、500キロほど南に位置するアンカレッジではまだ秋だった。海に面するアンカレッジからは、クック湾をはさんで、対岸のキナイ半島に連なる山々が一望に見渡せる。秋の訪れとともに、山の頂上には雪が積もり始め、やがて秋が終わりに近づくにつれて、雪が徐々に下へと降りてくるのだ。そして山全体が雪に覆われる頃には冬がやってくる。
クック湾を望む高台で夕焼けを待つ…。フェアバンクスよりもかなり暖かいのには驚きだが、ありがたい。
黄金色に輝く太陽は、ゆっくりと山の峰に近づき、空を明るいオレンジ色に染めて、その輝きをクック湾の表面に映しだしていた。目の前に広がる見事な光景に心を奪われていたのだが、ふっと別の方向を見ると、はるか遠くにどことなく特徴のある険しい雪山が目に入った。北西にそびえるその白い峰こそは、北米の最高峰、マウント・マッキンリー(デナリ)だったのだ。晴天で空気が澄んでいれば、400キロ以上離れたアンカレッジからもその姿が望めるということには驚きだった。
淡い夕日の光がマッキンリーを朱色に照らし出した。北の大地の夕焼けは長く、本土ではわずか数分で消えてしまう淡い光がしばらく続くのだ…。やがて朱色の光は時間をかけて少しづつ薄れて、空全体が淡いピンクに染まるころ消えていった…。南西の空とクック湾ははまだ明るいオレンジ色に輝いていた…。

2011年9月23日金曜日

秋のオーロラ

白夜の夏が終わり、アラスカ内陸に秋が訪れる頃、夜の暗闇が戻ってきた。一日7分と日に日に日が短くなり、9月の今では本土と変わらずに夜がやってくる。夜の訪れとともに、早くもオーロラが空を舞い始めた。9月に入って間もなく、太陽から放出される太陽風が活発になり、連日のように見事なオーロラが出現…。

この時期はまだ比較的暖かく、外に出てオーロラを撮影するのには都合がいい季節なのだ。重い防寒具に重ね着をしても、体中に痛みを感じる真冬に比べて、軽い上着をはおり、手袋なしで撮影できることは実にありがたい。周囲の自然を感じながら、外でオーロラを待つことができるのだ。
月明かりの中、オーロラの撮影地に選んだ湖に向けてトレイルを歩いた。中秋の満月間近、白樺の森の中を行くトレイルが懐中電灯なしでもはっきりと見える明るさだ。ちょうど紅葉のピーク時で、山全体がやわらかい光に照らされて黄金色に浮き上がっている。
空気はひんやりと冷たい。湖の表面には霞が漂い、幻想的な雰囲気を作り出していた。風はなく、水は微動だにしない。表面には、黄金の山と一面に散らばる無数の星がくっきりと映っている。静かな原野の中、近くを流れる川のせせらぎの音だけが聞こえる…。
カメラをセットし、待つことしばらく…。ぼんやりとした光が山の向こうから現れた。より明るいオーロラが反対方向からも現れ、うねりながら光を増していった。あわててカメラの場所を変える…。緑白色の光は頭上で渦を巻き、散らばり、また別の光のラインが地平線に向けて波を打ち出した。明るい緑色の下に、肉眼でも見えるピンク色の光が現れては消えていった。
まるで夢を見ているかのようだった…。
自然を感じ、自然と一体になったような不思議な感覚を覚えた…。



2011年9月8日木曜日

アラスカ内陸の秋

8月も3週目を過ぎると、アラスカ内陸部には早くも秋の気配が漂いはじめる。白樺の葉が少しづつ色づきはじめたかと思うと、1週間もたたないうちに山全体が黄色に染まってしまう。アラスカの季節の変化はあっという間だ。わずか3ヶ月ほど前に、若葉が育ち始め、新緑が急速に山を駆け上っていったと思ったら、今はもう、すでに夏の終わりだ。
9月初旬の現在、フェアバンクス郊外はすでにすっかり秋になっている。この辺りの山一帯が黄金色に輝き、足元の小さな植物は鮮やかな朱色に染まっている。びっしりと実ったベリー類もすでに熟している。この時期は天気が安定しているし、ひんやりとした空気が実に心地いい。アラスカの自然が最も美しく輝く季節だ。
白夜の季節が終わり、夜の暗闇が戻ってきた。少しづつ日が短くなってきて、夜の9時ごろには夕闇が訪れる…。夜の訪れを待っていたかのように、オーロラが再び空を舞い始めた。野生に生きる動物たちは間もなくやってくる長い冬に向けて準備中だ。夏の終わりはどことなく寂しさが漂うけれど、これから訪れるオーロラの季節が楽しみだ。

2011年6月23日木曜日

星野道夫のトーテムポール

南東アラスカ、シトカに来て3日目、相変わらずの曇り空だ。天気の回復を待っていても仕方がないから、ハリバット・ポイント州立公園へ向かった。幸い雨は止んでいて、海岸線に茂る深い森を歩く…。視界が開き海へ出た。海岸沿いのトレイルを歩いていると、ついに星野道夫のトーテムポールが視界に入ってきた。
苔むした深い森を背にし、海のほうを向いて立っているポールは、立てられてまだ3年弱だというのにすでに風化し、シトカ国立歴史公園で見た古いポールのような風格が出ていた。一番下の人物がカメラを持つ星野道夫氏で、その上が彼が追い続けていたワタリガラス、カリブー、クジラ、そして頂上に立つのが生前出会うことができなかった伝説的なブルー・ベア。

10年前、初めてアラスカに来てデナリでひと夏をすごして以来、星野道夫の作品に以前に増して目を向けるようになった。自然写真を始めてからは、尊敬する人となった。アラスカ在住の作家によって書かれた本の中に、何度か星野さんのことが登場していた。昨年はグレーシャー・ベイ国立公園で星野さんの友人にも出会った。
”君は日本人か?星野道夫を知っているか?”シトカについた翌朝、宿泊先にひょっこり現れたのが、星野さんの友人で、星野さんの本にも度々登場するボブ・サムだった。現在アイヌの人たちの権利を確立する仕事をしていて、6ヶ月間の滞在を終え日本から帰ってきたばかりだという。東北地方太平洋沖地震のあった日には東京にいたという。この、ボブこそが星野さんとトーテムポールを立てた発起人なのだ。

シトカに来て星野さんのトーテムポールを訪れるというのは、まるでお墓参りに来たような気持ちになった。星野さんのポールの立っているところからは、シトカ海峡に散らばる森に覆われた島々、そしてその向こうにそびえる富士山に似た山、マウント・エッジカムが見える。灰色の雲の下、神秘的な雰囲気の漂う場所だった。
街へ戻ると、コーヒーショップでボブにばったり会った。その後、小さな港の向かい側にある歴史的な建物を撮影していると、後ろに古びたトラックが止まり,”ヘイ、ミチオのトーテムポールを見てきたかい?”と顔を出したのは、星野道夫のトーテムポールを彫った彫刻家のトミー・ジョセフだった。まるで、星野さんのトーテムポールを訪ねることが引き起こした偶然のような不思議な出会いの数々…。まるで私がそこに来ることを知っていたかのように、自然に出迎えてくれたかのような出来事だった。

2011年5月30日月曜日

シトカ国立歴史公園

シトカ国立歴史公園(通称トーテム・パーク)を訪れたのは春のはじめの小雨の降る日だった…。前日登った山が、やっと新芽が出始めただけなのに比べ、標高の低い海岸沿いのこの森は少しづつ緑が色づいているようだった。5月初め、南東アラスカにはやっと春が訪れようとしていたのだが、白樺の木々はまだ裸のまま、まだ冬の気配が残っていた。
苔むした深い森の中をゆっくりと歩いていると、森の奥の方からワタリガラスの甘い鳴き声がこだまする…。南東アラスカ特有のバックミュージックといったらこの鳥の声だろう。深い緑に調和したトーテムポールが静かに海の方向を見て立っている…。木々の間から垣間見るこの海岸は引き潮でたくさんの海鳥たちが餌を求めて集まっていた。太古から生き続ける深い森に囲まれていると神秘的な気持ちになってしまう。南東アラスカ一帯に広がる深い森には自然の不思議な力のようなものを感じさせるものがある。
森が途切れ、小さな入り江に出た。その先のシトカ海峡にはたくさんの小さな島が散らばっていた。

このシトカ国立歴史公園はアラスカで最も古い国立公園で、昨年
2010年に創立100周年を迎えた。100周年を記念するトーテムポールが立てられるとのことで、公園上げての準備中だった。ビジターセンター内には完成間近の巨大なトーテムポールが横たわっていた。
頂点に彫られたのは国立公園管理局のシンボルであるバッファロー、国立公園のアローヘッドを意味する矢印のマークの入った鳥、ロシアがアラスカに入植した際にマーカーとして作られた石版、自然の精霊と称される女神の顔とその両側を泳ぐサケ、そのまわりには南東アラスカ原生の植物がデザインされている。このトーテムポールが立てられる儀式が行われるのは1週間後…、惜しくものがしてしまう、と残念に思いながら横たわっているポールを撮影していると、長髪の芸術家風の男性が声をかけてきた。彼こそがこのトーテムポールの主任製作者であって、彫刻家のトミー・ジョセフだった。“星野道夫のトーテムポールは見てきたかい?俺が彫ったんだ。”
(次回に続く)

2011年5月15日日曜日

シトカ・南東アラスカで最も美しい町

霧に包まれたフィヨルドの海峡をフェリーはゆっくりとシトカに向かって進んでいく…。深い森に覆われた島々が通り過ぎていく…。緑が多く、氷河を抱く険しい峰がそびえるアラスカ南東部は特に好きな場所だ。アラスカで最も美しい町といわれているシトカへの旅が始まろうとしている。
南東アラスカでも大きな島のひとつ、バラノフ島の太平洋岸に位置するシトカはアラスカ州の州都ジュノーから約150キロ南なのだが、南東アラスカの他の例にもれず道路はつながっていない。そのため空路かフェリーで向かうことになる。この一帯は氷河によって削られた複雑に入り組んだ地形をしている。また雨が多い気候のため、苔むした深い森が一帯を包み、森は海岸線すれすれまで伸びているのだ。緑の森の後ろには雪山が空に向かってそびえ立っている。

シトカはアラスカでも屈指の歴史を誇る町でもある。1799年、ロシアがはじめてアラスカに入植したのもここシトカなのだ。アメリカ政府にアラスカ州が売却されるまで、ロシア領アラスカ首都として栄え、1867年にアメリカ準州となってからも、ジュノーに移転されるまで40年間州都を務めた。現在でも街の所々にロシア時代のからの古い建物が残っている。1800年代の後半に日本から開盛丸という船が流れ着いたという歴史もある。また、シトカにもアラスカ先住民クリンギットの文化が根強く残り、街中や海岸などに立つトーテムポールからも南東アラスカらしさを感じられる。

5月初旬のシトカはやっと春の始まり…。雪はすでに解けていたものの、まだ枯れ草が台地を占める。新緑が少しづつ顔を出し始めてはいるけれど、滞在中は毎日重い雲が垂れ込み、雨の日も多く、どことなく気分が重くなってしまった。それでも、毎日シトカの自然の中を歩き続けた。
深緑色の森の中のトレイルをひたすら登り、まだ雪の残る山の頂上に出た。頂上付近の稜線には乾いた苔の垂れ下がる美しい森が春を待っていた。木々の間から入り組んだ海岸線と無数に散らばる島が見えた。頭上には数羽のハクトウワシが舞う…。対岸にも険しい雪山が空に向かって一直線にそびえていた。
冬の間をアラスカ内陸のフェアバンクスで過ごし、半年振りに訪れた南東アラスカの深い森の中を歩いていると、気候の違う内陸部では感じられなかった神秘的な気持ちになる。苔むした巨木に囲まれながら海風を感じる…。森の奥からワタリガラスの甘い声が響く。曇り空の下、海に面して建つ色あせた家々…、南東アラスカ特有の風景だ。湿原から海岸線まで、霧雨の中歩き回った。
シトカの対岸にそびえるマウント・エッジカムは“シトカ富士”と呼ばれているらしい。

(次回に続く…)

2011年4月29日金曜日

天空の炎:3月のオーロラ

3月の初め、見事なオーロラが二夜にわたってアラスカ中の空を明るく照らし出した。

北極圏に近いここフェアバンクスでは、緑白色の明るい光が天を駆け抜け、満月に近い月と明るさを競い合っていた。

燃えさかる炎のような光が天をうねり、肉眼で見えることは珍しい紫の光が、緑のカーテンの縁をフリルのようにに飾っていた。天頂ではコロナと呼ばれるオーロラが花火のように天から降り注いだ。

アラスカ先住民の間には、古くからオーロラにまつわる伝承のようなものがたくさん存在している。なにしろ明るい光が天を覆うのだから、多くの人達がオーロラを恐れていた…。興味深い伝承のひとつとして、亡くなった先祖の霊たちが空を駆け、球技をしているのがオーロラとなって現れるという話がある。球技の玉として使われているのは、大型海洋動物・トドの頭蓋骨だという。

南東アラスカの旅に出ることになった。現在フェリーでウィティアを離れ、アラスカ州都・ジュノーに向かう途中だ。ジュノーから、また別のフェリーに乗り換え、南東アラスカで最も美しいといわれているシトカへ向かう。シトカに1週間滞在し、撮影を行う予定だ。シトカからの最新の写真とエッセイは、ブログにて。

2011年4月14日木曜日

夕焼けの空から垣間見たマッキンリー

ある冬の日の夕方に、フェアバンクス郊外の原野を小型飛行機で飛んでいた。フェアバンクスはアラスカ第二の都市で人口約3万5千人なのだが、ちょっと町を外れると、未開の大自然が果てしなく続く…。
小型機は山の間の谷間に沿って、蛇行しながら流れるチナ川の上空を風に揺られながら飛んでいく。真冬の山は雪に覆われ、凍りついた川には雪が積もり、上空から見ると白い一本の道のようだった。山がどこまでも続いていて、人間の痕跡はほとんど見当たらない。

太陽がゆっくりと地平線に沈んでいき、暖かいオレンジ色の光が空を包む…。はるか先の地平線上にアラスカ山脈の峰が険しくそびえていた。さらにその先に、なんと北米最高峰・マッキンリーが姿を現した!夕日に照らされて、ぼんやりと浮かび上がるシルエットはまさにデナリ(マッキンリー)の相貌をしていた。

日が沈むと辺りが淡いパステルカラーに包まれ、近くの峰を桃色に照らし出した。夢の中にいるような美しい瞬間だった。