2011年5月30日月曜日

シトカ国立歴史公園

シトカ国立歴史公園(通称トーテム・パーク)を訪れたのは春のはじめの小雨の降る日だった…。前日登った山が、やっと新芽が出始めただけなのに比べ、標高の低い海岸沿いのこの森は少しづつ緑が色づいているようだった。5月初め、南東アラスカにはやっと春が訪れようとしていたのだが、白樺の木々はまだ裸のまま、まだ冬の気配が残っていた。
苔むした深い森の中をゆっくりと歩いていると、森の奥の方からワタリガラスの甘い鳴き声がこだまする…。南東アラスカ特有のバックミュージックといったらこの鳥の声だろう。深い緑に調和したトーテムポールが静かに海の方向を見て立っている…。木々の間から垣間見るこの海岸は引き潮でたくさんの海鳥たちが餌を求めて集まっていた。太古から生き続ける深い森に囲まれていると神秘的な気持ちになってしまう。南東アラスカ一帯に広がる深い森には自然の不思議な力のようなものを感じさせるものがある。
森が途切れ、小さな入り江に出た。その先のシトカ海峡にはたくさんの小さな島が散らばっていた。

このシトカ国立歴史公園はアラスカで最も古い国立公園で、昨年
2010年に創立100周年を迎えた。100周年を記念するトーテムポールが立てられるとのことで、公園上げての準備中だった。ビジターセンター内には完成間近の巨大なトーテムポールが横たわっていた。
頂点に彫られたのは国立公園管理局のシンボルであるバッファロー、国立公園のアローヘッドを意味する矢印のマークの入った鳥、ロシアがアラスカに入植した際にマーカーとして作られた石版、自然の精霊と称される女神の顔とその両側を泳ぐサケ、そのまわりには南東アラスカ原生の植物がデザインされている。このトーテムポールが立てられる儀式が行われるのは1週間後…、惜しくものがしてしまう、と残念に思いながら横たわっているポールを撮影していると、長髪の芸術家風の男性が声をかけてきた。彼こそがこのトーテムポールの主任製作者であって、彫刻家のトミー・ジョセフだった。“星野道夫のトーテムポールは見てきたかい?俺が彫ったんだ。”
(次回に続く)

2011年5月15日日曜日

シトカ・南東アラスカで最も美しい町

霧に包まれたフィヨルドの海峡をフェリーはゆっくりとシトカに向かって進んでいく…。深い森に覆われた島々が通り過ぎていく…。緑が多く、氷河を抱く険しい峰がそびえるアラスカ南東部は特に好きな場所だ。アラスカで最も美しい町といわれているシトカへの旅が始まろうとしている。
南東アラスカでも大きな島のひとつ、バラノフ島の太平洋岸に位置するシトカはアラスカ州の州都ジュノーから約150キロ南なのだが、南東アラスカの他の例にもれず道路はつながっていない。そのため空路かフェリーで向かうことになる。この一帯は氷河によって削られた複雑に入り組んだ地形をしている。また雨が多い気候のため、苔むした深い森が一帯を包み、森は海岸線すれすれまで伸びているのだ。緑の森の後ろには雪山が空に向かってそびえ立っている。

シトカはアラスカでも屈指の歴史を誇る町でもある。1799年、ロシアがはじめてアラスカに入植したのもここシトカなのだ。アメリカ政府にアラスカ州が売却されるまで、ロシア領アラスカ首都として栄え、1867年にアメリカ準州となってからも、ジュノーに移転されるまで40年間州都を務めた。現在でも街の所々にロシア時代のからの古い建物が残っている。1800年代の後半に日本から開盛丸という船が流れ着いたという歴史もある。また、シトカにもアラスカ先住民クリンギットの文化が根強く残り、街中や海岸などに立つトーテムポールからも南東アラスカらしさを感じられる。

5月初旬のシトカはやっと春の始まり…。雪はすでに解けていたものの、まだ枯れ草が台地を占める。新緑が少しづつ顔を出し始めてはいるけれど、滞在中は毎日重い雲が垂れ込み、雨の日も多く、どことなく気分が重くなってしまった。それでも、毎日シトカの自然の中を歩き続けた。
深緑色の森の中のトレイルをひたすら登り、まだ雪の残る山の頂上に出た。頂上付近の稜線には乾いた苔の垂れ下がる美しい森が春を待っていた。木々の間から入り組んだ海岸線と無数に散らばる島が見えた。頭上には数羽のハクトウワシが舞う…。対岸にも険しい雪山が空に向かって一直線にそびえていた。
冬の間をアラスカ内陸のフェアバンクスで過ごし、半年振りに訪れた南東アラスカの深い森の中を歩いていると、気候の違う内陸部では感じられなかった神秘的な気持ちになる。苔むした巨木に囲まれながら海風を感じる…。森の奥からワタリガラスの甘い声が響く。曇り空の下、海に面して建つ色あせた家々…、南東アラスカ特有の風景だ。湿原から海岸線まで、霧雨の中歩き回った。
シトカの対岸にそびえるマウント・エッジカムは“シトカ富士”と呼ばれているらしい。

(次回に続く…)

2011年4月29日金曜日

天空の炎:3月のオーロラ

3月の初め、見事なオーロラが二夜にわたってアラスカ中の空を明るく照らし出した。

北極圏に近いここフェアバンクスでは、緑白色の明るい光が天を駆け抜け、満月に近い月と明るさを競い合っていた。

燃えさかる炎のような光が天をうねり、肉眼で見えることは珍しい紫の光が、緑のカーテンの縁をフリルのようにに飾っていた。天頂ではコロナと呼ばれるオーロラが花火のように天から降り注いだ。

アラスカ先住民の間には、古くからオーロラにまつわる伝承のようなものがたくさん存在している。なにしろ明るい光が天を覆うのだから、多くの人達がオーロラを恐れていた…。興味深い伝承のひとつとして、亡くなった先祖の霊たちが空を駆け、球技をしているのがオーロラとなって現れるという話がある。球技の玉として使われているのは、大型海洋動物・トドの頭蓋骨だという。

南東アラスカの旅に出ることになった。現在フェリーでウィティアを離れ、アラスカ州都・ジュノーに向かう途中だ。ジュノーから、また別のフェリーに乗り換え、南東アラスカで最も美しいといわれているシトカへ向かう。シトカに1週間滞在し、撮影を行う予定だ。シトカからの最新の写真とエッセイは、ブログにて。

2011年4月14日木曜日

夕焼けの空から垣間見たマッキンリー

ある冬の日の夕方に、フェアバンクス郊外の原野を小型飛行機で飛んでいた。フェアバンクスはアラスカ第二の都市で人口約3万5千人なのだが、ちょっと町を外れると、未開の大自然が果てしなく続く…。
小型機は山の間の谷間に沿って、蛇行しながら流れるチナ川の上空を風に揺られながら飛んでいく。真冬の山は雪に覆われ、凍りついた川には雪が積もり、上空から見ると白い一本の道のようだった。山がどこまでも続いていて、人間の痕跡はほとんど見当たらない。

太陽がゆっくりと地平線に沈んでいき、暖かいオレンジ色の光が空を包む…。はるか先の地平線上にアラスカ山脈の峰が険しくそびえていた。さらにその先に、なんと北米最高峰・マッキンリーが姿を現した!夕日に照らされて、ぼんやりと浮かび上がるシルエットはまさにデナリ(マッキンリー)の相貌をしていた。

日が沈むと辺りが淡いパステルカラーに包まれ、近くの峰を桃色に照らし出した。夢の中にいるような美しい瞬間だった。

2011年3月19日土曜日

オーロラ、ショータイム!

オーロラの撮影は、一般的な自然写真とはまた別のチャレンジが必要だ。自然の最も美しい瞬間といわれる、日の出の瞬間や夕焼けなどは、時間帯の予測ができるのだが、オーロラはいつ出るという保証がない。真冬の長い夜の間、特に夜中から朝方が出やすいといわれているが、空が晴れていて、オーロラ予報が良くても全く出ないで朝を迎えてしまうこともあるのだ。忍耐強く待ち続けて、定期的に北方の空をチェックするしかない。感動的なオーロラの出現を待ち続けること数週間…、いったいこの冬に期待していたような写真が撮れるのだろうかと思いはじめた頃のことだった…。
2月の初め、2晩にわたって見事なオーロラが空を飾った。2月4日、午後8時ごろ、早くも光のアーチが北方の山の上に現れた。光のアーチはゆっくりと動きながらも、しばらくの間同じ場所にとどまっていたのだが、突然、左側の部分が小さな渦を巻き始めた。反対側の山の後ろからも、緑色の光の炎がゆらゆらと空高く出現…。

天空を飾るオーロラの見事なショーはそれから一晩中続いた…。ピーク時には、明るい緑の光が頭上をうねりながら走り、さらに北側の山の背後からも、太い緑の光が空を駆けていた。南側の空には、天の川のような白色の光が空の半分をおおっていた。空全体が明るく輝き、現実離れした光景を息をのんで見上げていた…。

翌日、山の上からオーロラを撮影。雪上車を降りるなり、明るい緑色の光のアーチに出迎えられた。西方の地平線からは、明るい光の炎が天空に向かって揺らめきだした。頭上まで届いた炎が、火の粉のように動き出し、天空に巨大な渦を巻きだした。光は一ヵ所にとどまることなく、空を駆け巡る…。
休む間もなく、新たな光のカーテンが現れ、波を打ちながら空を移動していく…。まさに"光のダンス"という表現どおりだ。次から次へと鮮やかな光が現れ、揺らめき、広がり、消える頃にはまた別の光が出現…。空一面を舞台としたオーロラのショーは一晩中観客を楽しませてくれた。
空一面に、淡い緑色の光が霧のように広がった…。光の霧は南の空までも広がった。オリオン座の後ろに珍しくもオーロラが出現…。

2011年2月17日木曜日

アイス・ホテル(アイス・ミュージアム)

アラスカの厳しくも美しい大自然を追い続けて早くも数ヶ月…。今回は自然の恵みから生まれた氷の芸術を紹介したいと思う。

アラスカ第二の都市、フェアバンクスから約90キロほどの外れ、チナ・ホットスプリング・リゾートの中に建つ“オーロラ・アイス・ミュージアム”には、ゴッシク大聖堂をテーマとした氷のインテリア―氷で作られたシャンデリアが天井からつる下がり、80体にも及ぶ氷の彫刻が所狭しと飾られている。


中でも、4つの客室からなるアイスホテル・ルームにはそれぞれ、“ホッキョクグマ”“クリスマス”“塔”“女王の間”をテーマに氷のベッドや家具が置かれていて、“女王の間”の中には氷のトイレまで作られているのだ。そもそもこのアイスミュージアムは、アイスホテルと呼ばれていたのだが、スプリンクラーを設置していないため、消防法によりホテルとは呼べないそうで、アイスミュージアムと改名したそうだ。とはいえ、現在でもホテル客室として、1泊575ドルで貸し出しているとのことだ。575ドルの中には、普通のホテルの客室も付いてきて、ゲストはアイスルームとホテルルームを行ったり来たりできるそうだ。アイスベッドには、真冬用の厚手の寝袋が付いてくるという。ただし、氷のトイレはあくまでも芸術のひとつだから、ゲストはホテルルームの中の本物のトイレを使用しなくてはならないとのことだ。このアイス・ミュージアムに一晩貸切で泊まれて、575ドルは安いと考えるべきなのか…?
アイス・ミュージアムの目玉といえば、アイスバー。すべて氷で作られたバーのカウンターと椅子、周りを囲む氷の柱…、これだけでもかなりの芸術だ。特にすごいのは一つ一つ氷で作られたグラスでカクテルを注文できるのだ。

アイス・ホテルルーム、アイスバーの周りには約80体にも及ぶ氷の彫刻で飾られている。戦う騎士、2階建ての高さの塔、氷のチェス等々…は、冬の間に近くの池から切り取られてきた氷のブロックから彫られているそうだ。この氷の芸術はすべて、ワールド・アイス・チャンピオンの夫婦スティーブ&ヘザー・ブライスの作品だ。細部にわたって細かく彫られた氷の芸術は一見の価値あり。


2011年1月21日金曜日

冬のアラスカ、バラ色の光

真冬のアラスカの長い夜を飾るオーロラの輝きはよく知られているが、極北の冬にはもうひとつの美しい光の世界がある。一日わずか3-4時間だけ差す淡いピンク色の日の光だ。
1月中旬の日の出は午前10時半頃…。地平線のほんの少し上にゆっくりと時間をかけて顔を出した太陽は、南東の空をネオンピンクに染めて、反対側の雪山をバラ色に照らし出す。地球上のほとんどの地域ではほんの数分にすぎない朝焼けの瞬間が、極北の地では延々と続く。地平線上にとどまった太陽は、そのまま地平線をかすめるようにゆっくりと動く…。北西の山の頂上を照らすバラ色の光は、3-4時間かけてゆっくりと北東の峰に移動していく…。午後3時半頃、太陽はそのまま地平線を離れることなくゆっくりと沈んでいってしまうのだ。アラスカ内陸、滞在中のフェアバンクス郊外では11月中旬から直射日光が差さずに、長い朝焼けから長い夕焼けだけの短い一日が終わる…。夢のような長い朝焼けの時間は、写真家にとってはありがたい時間だ。

厳冬のアラスカでの撮影は、なかなか厳しいものがある。なにしろ零下30度を下回る寒さの中では、防寒服に身を固めているから、身動きがとりづらい。三脚は氷のように冷たいし、厚い手袋をはめてカメラをセットするのはなかなか至難の業だ。やっとのことで準備を終え、撮影に入って10分もすると、足の先が寒さで痛み出してくる。フィルターを支える指が、手袋の中にもかかわらず凍えだす…。カメラや三脚が霜で覆われてしまう。足踏みをして何とか持ちこたえようとするのだが、寒さは増すばかりだ。早急に撮影を切り上げ次の場所へ移動する。

こんなに厳しい寒さとはいえ、極北の自然の見せてくれる美しさには特別なものがある。