2012年10月24日水曜日

北極圏の扉国立公園 - Gate of the Arctic National Park

前回に引き続き、今回は北極圏の扉国立公園のバックパッキングの旅について書こうと思う。
アンカレッジから北上し、フェアバンクスよりもさらに北へとダルトン・ハイウェイを走り、ブルックス山脈沿いに広がる北極圏の扉国立公園、北極圏国立野生動物保護区を通過して、3日目にしてついに北端、プルドー湾に面する石油基地・デッドホースまでたどり着いた。最果ての地にこつぜんと現れたデッドホース石油基地は、無機質な大型の機械が点在する工業地帯。北極海に面するロマンの地どころか、どす黒い原油まみれの機械が無造作に散らばる、正直言って絶望感の漂う場所だった。頭上に漂う灰色の雲がますます雰囲気を重くしていた。デッドホースを早々に切り上げ、険しいながらも美しい自然が続くブルックス山脈まで戻った。
北極圏の扉国立公園(Gate of the Arctic National Park & Preserve)をじっくり自分の足で歩いてみたい。幸い天気も回復、撮影機材とキャンプ用品一式を背負って、3日間原野に入った。
”国立公園”といえども、アメリカ本土の国立公園のように観光化されていない。整備されたトレイルなどはなく、全くの原野を地図とコンパスを片手に自分で行き先を決めるのだ。まずは氷のようにに冷たい川を渡ることから始まり、靴を履きかえると、今度は急な山肌をまるでロッククライミングのように両手でつかまりながら登った。その後は、ツンドラにおおわれた急な斜面を重いパックを背負って息を切らしながら、ひたすら登る。やっとのことで尾根にたどり着くと、紅葉に染まった谷が一望できた。やわらかい陽の光を浴びて、ツンドラが黄金色に輝いていた。

山の頂上にあたる尾根は幅広い平坦なツンドラ地帯になっていた。雪解け水が湧き出し、小さな沢になって、網の目のように流れていた。まるで日本庭園を思わせるような不思議な光景に出会った。

ブルックス山脈一帯はカリブーの生息地。カリブーの落し物の角が、ツンドラの中に無造作に散らばっていた。

第一夜は、クユックテュブック渓谷の見渡せる尾根にテントを張った。食事を終えるころには、すっかり雲に包まれ、一晩中雨が降り続いた。
幸いにも翌朝には雨が止み、少しづつ日が差し始めた。鮮やかな紅葉に染まったツンドラの斜面をクユックテュブック川(Kuyuktuvuk Creek) に向けて下る。見渡す限り未開の原野がどこまでも続いている…。今私が立っているこの地に実際に足を踏み入れ、眼前に広がる険しい山々を見たのはほんのわずかな人たちだけだ、と思うと不思議な気分になった。野生動物の形跡といえば、まだ新しいクマの糞、ドールシープの頭蓋骨、無残に散らばるカリブーの毛皮ぐらい。カリブー、グリズリー、オオカミなどは全く見かけなかった。唯一、丸々と太ったヤマアラシが一匹、低木の藪から姿を現したぐらいだ。

氷河の残していった堆積物の丘を越え、クユックテュブック川の急流を渡り、なだらかながらも昇りの続くツンドラの丘を川に沿って丸一日歩き続けた。水量が多く流れの強かったクユックテュブック川も、上流に行くにしたがって、小さな浅い流れに変わっていった。流れの両側に広がる丘から湧き出た無数の小さな沢が本流に流れ込み、わずか数キロの間に大きな川を作り出している。クユックテュブック川の変化に負けず、周囲の地形も、なだらかなツンドラの丘から低木、さらに植生が減り、むき出しの岩山へと変わっていった。頭上にそびえる山も険しさが増し、頂上にはまだ8月だというのにうっすらと雪が積もっていた。川はさらに小さくなった。
岩山に囲まれた小さな湖、オーラー・レイク(Oolah Lake) の近くが、第二夜のキャンプ地。空気が冷たく、すでに晩秋の気配が強かった。わずか一日歩いただけの距離でこれほどにまで、地形や気候が変わることには驚きだった。

3日目、前日登ってきたツンドラの丘を川沿いに下り、クユックテュブック川を渡り、尾根に向けて急な丘をひたすら登る。頂上の尾根は覚えていた以上に長く、しかもツンドラは連日の雨で湿地帯になっていて、一歩進むのにとても時間がかかった。背負っているパックの重みが増してくる頃、やっと長かった尾根の終わりが近づき、反対側に広がる谷、そして谷を貫くダルトン・ハイウェイとパイプラインが見えた。急な山肌をいっきに下り、最後に川を渡り、ついに出発点まで戻ってきた。
北極圏の原野で過ごしたこの三日間はまるで不思議な夢の中にいるようだった

2012年9月18日火曜日

北極圏

始めてアラスカに来た10年以上も前から"北極圏"という響きに憧れていた。正式には北緯6633分以北の地を北極圏というのだが、ブルックス山脈の原野から果てしなく続くツンドラ地帯、北極海までの地域などが含まれる。夏の間は白夜が続き、植物は24時間の太陽の下グングンと成長し、この地に生きる動物たちは短い夏の間、休む間もなく食餌を取り、子作りに励む。このかけ離れた極北の地を北へ貫く一本の道がダルトン・ハイウェイという未舗装道路で、フェアバンクスからスティーズ・ハイウェイそしてエリオット・ハイウェイを経て、計800キロ、北極海に面するプルドー湾へ行き着く。アンカレッジからは1,350キロもの行程になる。
8月中旬、アンカレッジを発ち、北へ向けての旅が始まった。まだ夏の気配が残るアンカレッジから北上すること約550キロ、フェアバンクス周辺ではすでに秋が始まりかけていた。白樺に似た、バーチの森が鮮やかな黄色に変わり始めていた。フェアバンクスから126キロ、いよいよダルトン・ハイウェイにさしかかるといきなり未舗装の砂利道になった。ユーコン川を越えたあたりから、パイプラインがハイウェイ沿いを平行して走るようになる。北極圏に入った辺りから森が開け、ツンドラと呼ばれる永久凍土の湿原が続く。無数の川や湖が点在するツンドラまでが、黄金色に紅葉し、北に行けば行くほど季節の進みの早さを感じさせられた。

ゴールドラッシュの町として始まったコールドフットは、今では大型トラックの休憩所として知られている。プルドー湾の石油基地デッドホースとアンカレッジを往復するトラックにとって、最後の町に当たるコールドフットにはレストラン、ホテル、ガソリンスタンドや売店などがそろっている。
ダルトン・ハイウェイのハイライトに当たるのはコールドフットから北に広がる大自然だ。ブルックス山脈の険しい峰が続き、北極圏の扉国立公園(Gate of The Arctic National Park & Preserve)や北極圏国立野生動物保護区(Arctic National Wildlife Refuge) などの自然保護区がハイウェイ沿いに広がる。ここまで北上すると、ツンドラの紅葉もピークを迎え、黄金色から紅色の丘が、秋の日の下で鮮やかに輝いていた。
アティガン峠(Atigun Pass) から北側の川は北極海に流れ込み、南側の川は太平洋に注ぎこむ。この辺りがダルトン・ハイウェイ沿いで最も険しく、最も美しいところだ。
 
ブルックス山脈の高峰がダルトン・ハイウェイの両側にそびえ立つ一角に、北極圏国立野生動物保護区(Arctic National Wildlife Refuge)を垣間見ることができた。この保護区はカリブー(野生のトナカイ)の繁殖地、および北極グマ、ジャコウウなどの希少動物を保護するために指定された。大手石油会社があきらめることなく数回にわたってこの地の開発を求め、自然保護団体がその度に提案を阻止するという政治的闘争が続いている。この地のことを知ったのは、まだ日本に住んでいた十代の頃だったが、なぜか見たこともない極北の地が破壊されてしまうかもしれないということに胸を痛めたのだ。アメリカ本土に住んでいる間も、シェラクラブを始めとする自然団体のこの地を守る活動に何度も署名してきた。ずっと気になって想いを寄せていた北極圏国立野生動物保護区の一角が自分の目の前に広がっているということが信じがたかった。保護区内の山脈をこの日最後の太陽が暖かい光で照らし出し、空を淡い桃色に染めてゆっくりと沈んでいった。極北のこの美しい一帯が人間の欲のために開発されることがなく、未来に残されていくことを強く願う。
ブルックス山脈の北部、カリブーが紅葉のツンドラの丘を横切る…。
白夜の季節が終わりを迎え、夜の闇が数時間だけ訪れる。北極圏の空にオーロラの季節が戻ってきた。
(次回に続く。)

2012年8月16日木曜日

オオカミ

最後にブログを更新して以来あっという間に月日が経ってしまった。半年以上ものブランクの間に実はいろいろなことがあった。生活の根拠をアンカレッジに移したというのも言い訳になるが、それ以上にこの夏はアラスカ各地を撮影のため忙しく動き回っていたというのが、最もらしい理由ということにしよう。
アラスカの夏は本当に短い。長い冬が終わり、やっと雪が解けたと思ったら、あっという間に新緑が顔を出し、夜中まで照り続ける太陽の下でぐんぐん育つ。アラスカの最も美しいく光り輝く時だ。わずか4ヶ月の間に春から夏へ、そして秋へと早送りのように移り変わってしまう。短い夏の間に植物も動物も休みなく働く。人間も同じだ。自然写真家にとっても忙しい季節だ。ひとつの撮影から戻ってくると、写真の編集の終わる前に次の旅に出てしまうから、デスクワークはたまる一方。と、言い訳はこのぐらいにして、本題に移ろう。
6月の中旬、白夜の空の下、アラスカ内陸に向かってパークハイウェイを北上していた。夜中近くになって、ようやく長い長い日暮れが終わり、薄暗くなってきた。アラスカ山脈の険しい山に囲まれた未開の地がどこまでも続くハイウェイを、一匹の犬のような動物が横切った。オオカミだ!
まだ小ぶりな若いオオカミは、足を止めてこちらをじっと見つめた。
バイクを止めても逃げるそぶりを見せない。
しばらくして、ハイウェイ沿いの茂みの中へ消えていったと思ったら、すぐ近くにあるムースの死骸を食べていたのだ。オオカミ撮影のまたとないチャンスに恵まれ、シャッターを押し続けた…。夢中で食べ続けながらも目を上げ周囲に注意を怠らない。黄色い眼がちらりとこちらを見る瞬間、野生に生きるものの鋭さを感じさせられる。
時を忘れ撮影を続けていると、あたりが薄暗くなってきた。若いオオカミは自分の2倍ほどもある死骸を引きずりながら、ゆっくりと茂みの中へ消えていった。
アラスカ見せてくれる夢のような瞬間だった。

2011年10月21日金曜日

アンカレッジから見えたマッキンリー



10月初旬、アンカレッジ周辺は見事な秋晴れが続いた。私の住むアラスカ内陸部、フェアバンクス郊外ではすでに紅葉は終わっていて、冬の気配が色濃くなっているものの、500キロほど南に位置するアンカレッジではまだ秋だった。海に面するアンカレッジからは、クック湾をはさんで、対岸のキナイ半島に連なる山々が一望に見渡せる。秋の訪れとともに、山の頂上には雪が積もり始め、やがて秋が終わりに近づくにつれて、雪が徐々に下へと降りてくるのだ。そして山全体が雪に覆われる頃には冬がやってくる。
クック湾を望む高台で夕焼けを待つ…。フェアバンクスよりもかなり暖かいのには驚きだが、ありがたい。
黄金色に輝く太陽は、ゆっくりと山の峰に近づき、空を明るいオレンジ色に染めて、その輝きをクック湾の表面に映しだしていた。目の前に広がる見事な光景に心を奪われていたのだが、ふっと別の方向を見ると、はるか遠くにどことなく特徴のある険しい雪山が目に入った。北西にそびえるその白い峰こそは、北米の最高峰、マウント・マッキンリー(デナリ)だったのだ。晴天で空気が澄んでいれば、400キロ以上離れたアンカレッジからもその姿が望めるということには驚きだった。
淡い夕日の光がマッキンリーを朱色に照らし出した。北の大地の夕焼けは長く、本土ではわずか数分で消えてしまう淡い光がしばらく続くのだ…。やがて朱色の光は時間をかけて少しづつ薄れて、空全体が淡いピンクに染まるころ消えていった…。南西の空とクック湾ははまだ明るいオレンジ色に輝いていた…。

2011年9月23日金曜日

秋のオーロラ

白夜の夏が終わり、アラスカ内陸に秋が訪れる頃、夜の暗闇が戻ってきた。一日7分と日に日に日が短くなり、9月の今では本土と変わらずに夜がやってくる。夜の訪れとともに、早くもオーロラが空を舞い始めた。9月に入って間もなく、太陽から放出される太陽風が活発になり、連日のように見事なオーロラが出現…。

この時期はまだ比較的暖かく、外に出てオーロラを撮影するのには都合がいい季節なのだ。重い防寒具に重ね着をしても、体中に痛みを感じる真冬に比べて、軽い上着をはおり、手袋なしで撮影できることは実にありがたい。周囲の自然を感じながら、外でオーロラを待つことができるのだ。
月明かりの中、オーロラの撮影地に選んだ湖に向けてトレイルを歩いた。中秋の満月間近、白樺の森の中を行くトレイルが懐中電灯なしでもはっきりと見える明るさだ。ちょうど紅葉のピーク時で、山全体がやわらかい光に照らされて黄金色に浮き上がっている。
空気はひんやりと冷たい。湖の表面には霞が漂い、幻想的な雰囲気を作り出していた。風はなく、水は微動だにしない。表面には、黄金の山と一面に散らばる無数の星がくっきりと映っている。静かな原野の中、近くを流れる川のせせらぎの音だけが聞こえる…。
カメラをセットし、待つことしばらく…。ぼんやりとした光が山の向こうから現れた。より明るいオーロラが反対方向からも現れ、うねりながら光を増していった。あわててカメラの場所を変える…。緑白色の光は頭上で渦を巻き、散らばり、また別の光のラインが地平線に向けて波を打ち出した。明るい緑色の下に、肉眼でも見えるピンク色の光が現れては消えていった。
まるで夢を見ているかのようだった…。
自然を感じ、自然と一体になったような不思議な感覚を覚えた…。



2011年9月8日木曜日

アラスカ内陸の秋

8月も3週目を過ぎると、アラスカ内陸部には早くも秋の気配が漂いはじめる。白樺の葉が少しづつ色づきはじめたかと思うと、1週間もたたないうちに山全体が黄色に染まってしまう。アラスカの季節の変化はあっという間だ。わずか3ヶ月ほど前に、若葉が育ち始め、新緑が急速に山を駆け上っていったと思ったら、今はもう、すでに夏の終わりだ。
9月初旬の現在、フェアバンクス郊外はすでにすっかり秋になっている。この辺りの山一帯が黄金色に輝き、足元の小さな植物は鮮やかな朱色に染まっている。びっしりと実ったベリー類もすでに熟している。この時期は天気が安定しているし、ひんやりとした空気が実に心地いい。アラスカの自然が最も美しく輝く季節だ。
白夜の季節が終わり、夜の暗闇が戻ってきた。少しづつ日が短くなってきて、夜の9時ごろには夕闇が訪れる…。夜の訪れを待っていたかのように、オーロラが再び空を舞い始めた。野生に生きる動物たちは間もなくやってくる長い冬に向けて準備中だ。夏の終わりはどことなく寂しさが漂うけれど、これから訪れるオーロラの季節が楽しみだ。

2011年6月23日木曜日

星野道夫のトーテムポール

南東アラスカ、シトカに来て3日目、相変わらずの曇り空だ。天気の回復を待っていても仕方がないから、ハリバット・ポイント州立公園へ向かった。幸い雨は止んでいて、海岸線に茂る深い森を歩く…。視界が開き海へ出た。海岸沿いのトレイルを歩いていると、ついに星野道夫のトーテムポールが視界に入ってきた。
苔むした深い森を背にし、海のほうを向いて立っているポールは、立てられてまだ3年弱だというのにすでに風化し、シトカ国立歴史公園で見た古いポールのような風格が出ていた。一番下の人物がカメラを持つ星野道夫氏で、その上が彼が追い続けていたワタリガラス、カリブー、クジラ、そして頂上に立つのが生前出会うことができなかった伝説的なブルー・ベア。

10年前、初めてアラスカに来てデナリでひと夏をすごして以来、星野道夫の作品に以前に増して目を向けるようになった。自然写真を始めてからは、尊敬する人となった。アラスカ在住の作家によって書かれた本の中に、何度か星野さんのことが登場していた。昨年はグレーシャー・ベイ国立公園で星野さんの友人にも出会った。
”君は日本人か?星野道夫を知っているか?”シトカについた翌朝、宿泊先にひょっこり現れたのが、星野さんの友人で、星野さんの本にも度々登場するボブ・サムだった。現在アイヌの人たちの権利を確立する仕事をしていて、6ヶ月間の滞在を終え日本から帰ってきたばかりだという。東北地方太平洋沖地震のあった日には東京にいたという。この、ボブこそが星野さんとトーテムポールを立てた発起人なのだ。

シトカに来て星野さんのトーテムポールを訪れるというのは、まるでお墓参りに来たような気持ちになった。星野さんのポールの立っているところからは、シトカ海峡に散らばる森に覆われた島々、そしてその向こうにそびえる富士山に似た山、マウント・エッジカムが見える。灰色の雲の下、神秘的な雰囲気の漂う場所だった。
街へ戻ると、コーヒーショップでボブにばったり会った。その後、小さな港の向かい側にある歴史的な建物を撮影していると、後ろに古びたトラックが止まり,”ヘイ、ミチオのトーテムポールを見てきたかい?”と顔を出したのは、星野道夫のトーテムポールを彫った彫刻家のトミー・ジョセフだった。まるで、星野さんのトーテムポールを訪ねることが引き起こした偶然のような不思議な出会いの数々…。まるで私がそこに来ることを知っていたかのように、自然に出迎えてくれたかのような出来事だった。